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    18−3 32年間の独裁政治の終焉   
 (1)モブツは夫人と共にバドリテへ
  5月15日から16日にかけての夜、モブツは5人の側近と最後の打ち合わせをします。側近
と言っても全員が将軍です。首相のリクリア、国防大臣で参謀本部長のマヘレ、モブツの甥で
秘密警察のトップのバラモト、DSP(大統領特別師団)の指揮官のンズィムビ、内務大臣のイル
ンガの5人です。4人はモブツと同じンバンディ部族の出身ですが、マヘレだけは同じエカトゥー
ル州でも別のンブンザ部族の出身でした。
  この最後の会議で話し合われたことは大統領と首相の行動計画でした。リクリア将軍は、カ
ビラ軍のキンシャサ侵攻を阻止することは不可能に近いこと、従って大統領の安全を保証する
ことができないことを理由に、バドリテへの脱出をモブツに勧めます。モブツも本心ではこの行
動しかないと思っていたでしょう。相談の結果、モブツはキンシャサから退去して、バドリテに移
動するが、首相のリクリア将軍は、あらゆる手段を講じて1万人のDSPの兵力をもってキンシャ
サを死守するというものでした。
  しかし、ここでマヘレ参謀本部長からこの計画に異論が出されました。彼はキンシャサで多数
の犠牲者が出ることを恐れ、AFDL軍を迎え入れることを勧めました。彼はある時点からカビラ
の反乱軍AFDLと間接的に接触を持っていたと言われておおり、事態の収拾のため米国大使
からもそのような構想を強く推奨されていたのです。だからこそ、敢えてこのような発言をしたの
でしょう。 このメンバーの中でポスト・モブツのことを考えていたのはマヘレだけでした。従って、
ここで彼の意見が通る筈はあり得ません。反逆者の烙印を押されて、引き下がるしかありませ
んでした。
  その後、モブツの元ではマヘレを除いて、話し合いの続きがありましたが、そこにはンバンデ
ィ部族の軍人たちしかいませんでした。目的は裏切り者が誰かを確認することでした。裏切り者
とはカビラ体制迎え入れて、そこでの延命を図ろうとしている者たちに他なりません。
  16日(金)の朝が明け8時過ぎにモブツ大統領とボビ・ラダワ夫人は他の家族と別れて、ンジ
リ空港に向かいました。キンシャサの中心地にある「6月30日大通り」を通過したのが9時15
分頃だったとルモンド紙は報じています。もちろん、治療に当たっている医師たちも同行してい
ました。医師たちは家族も一緒でした。もうここに帰ることはないという意味でしょう。
  前日、モブツは中央銀行やベルゴレーズ銀行のキンシャサ支店に命じて、キンシャサにある
外貨の現金を全て集めて持ってくるように命じていました。ベルゴレーズには少なくとも、反乱
軍との戦闘資金として企業に強制的に拠出させた4千万ドルがあったはずですが。これまでの
慣行どおり、色々なレベルで資金は少しずつ剥ぎ取られ、モブツのところについた額は、モブツ
が怒り心頭に発すようなものでした。しかし、怒っても仕方なく、出発するしかありません。
  空港ではムカンデラ指揮官の操縦する大統領専用機ボーイング737が待っていました。搭
乗に際してボビ夫人は、マヘレ参謀本部長を見送りの人々の中に見付け、彼に裏切られた悔
しさを言葉にしましたが、マヘレは、言いたいことはあっても、黙って聞くしかありませんでした。
10時過ぎに搭乗機はンジリから飛び立ちましたが、ムカンデラは指示に従って、何時もと違っ
たコースで離陸して行きました。地上から狙撃を避けるための安全策でした。
  モブツはキンシャサを去りましたが、カビラが要請するような意味で大統領の権限を放棄した
訳ではありません。その点については何の発言もありませんでした。この16日の午後、ムルン
バ情報大臣は国家元首の権限の問題について次のような趣旨の声明を出しました。
 「暫定憲法の関係条項に基づき、大統領は行政権を直接持っていないので、誰に対しても持
っていない権限を譲るということはありえない。大統領は「君臨するが、統治はしない」のであ
り、暫定憲法ができて以来、国の行政事項には関与しておらず、憲法上大統領の権限に属す
る行為に限定している。モブツは、今後行われる大統領選挙には出馬しないと決めており、そ
の選挙によって選ばれる新しい大統領に持っている権限を引き継ぐだけである。国家の行政は
政府がその権限で管理するだけであり、AFDLと国家機関の間に出てくる危機的な事項につ
いての調停役は、元首不在の間、憲法の規定に従って共和国暫定議会の議長が果たすことに
なる。」
  以上のような内容の声明でしたが、これはカビラがこれまで、議会の議長に復帰したとされる
モンセグオ師とは話をするつもりはなく、モブツから直接政権を受け継ぐという意向を明確にし
ていただけに、このカビラの発言に肩すかしを加えたということでしょう。しかし、これはモブツの
些細な抵抗であり、現実には武力による政権奪取であり、翌17日、カビラは一方的に自らが
国家元首としての権限を掌握すること、国名を元のコンゴー民主共和国とすることを宣言しま
す。
  モブツがキンシャサを脱出すると後は、昨夜の行動計画など皆の頭にはありませんでした。
絶対的権威であった主がいなくなれば、その言いなりに動いてきた人々がどうなるか、考える
余地もありません。昨夜モブツの元に集まった将軍たちを含み、モブツの側近たちは、心の中
でモブツに見捨てられたと思っていたに違いありません。ただ一途に、AFDL軍が入ってくる前
に如何に家族と共に逃げ出すかを考えるだけです。この日の午後、情報大臣は政府の名にお
いて声明を出し、すでにDSPの指揮官であるンズィムビ将軍がその一族と共にブラザヴィルに
脱出したことを明らかにしました。秘密警察のトップのバラモト将軍もキンシャサから逃げ出しま
した。

 (2)マヘレ将軍の最後
  マヘレは大統領夫妻を見送った後、一旦ゴンベ地区の自宅に帰りました。それから首相のリ
クリア将軍のところに行き、DSPの兵士が略奪行為に走らないように、彼らにお金をどのように
配るかを話し合いました。マヘレは、自分の家族と私財をブラザヴィルに移しましたが、自らは
キンシャサに留まり、AFDLがキンシャサに入った後、ザイール国軍をどのようにしてカビラ体
制の下に取り込むかのプランを協議しなければなりませんでした。それは海外の親友たちの仲
介を経て、カビラ側との間接的な接触でした。キンシャサの米国大使館筋によれば、マヘレ将
軍は5月10日以来、首都キンシャサを武装解除して明け渡す意向を持っているとのことでし
た。それは、AFDL軍が首都に流血を避けながら「軟着陸」できるようにするためでした。
  マヘレ将軍はこの16日金曜日の夜、シンプソン米国大使から“コロネル・チャチ駐屯キャン
プ”に出掛けて、AFDLのキンシャサ侵攻に際してどのような展開になるのかを兵士たちに説
明するよう要請されました。カビラの武力による政権奪取という最悪の事態に対応するための
シナリオを米国大使はマヘレに吹き込んだわけです。皆が恐れていたことは、指揮官を失った
DSPの兵士たちが、不安に駆られて、市内に繰り出し、略奪行為を起こすことでした。ジュヌ・
アフリック誌によれば、マヘレは、リクリア首相から、すでに兵士たちが騒ぎを起こし出したと電
話で告げられ、その説得に当たるためにキャンプに赴いたそうです。もし、これが本当であれ
ば、リクリア将軍はマヘレに命を賭けて責任を取らせたかったのかも知れません。
  マヘレは、とにかく直ぐに現場に駆けつけて、騒ぎを静めようとしました。狂気の沙汰かも知
れませんが、指揮官のンズィムビ将軍がが逃げ出したからには、自分が説得しない限り、キン
シャサを破壊と略奪から救う、そしてAFDL軍が入ってきた時、流血を最小限にすることはでき
ないと思ったのでしょう。“コロネル・チャチ駐屯キャンプ”に着いたマヘレは、DSPの兵士たち
に先ずは冷静を取り戻すよう、そして今となっては武器を放棄して、軍服を脱ぎ、市民の姿にな
るべきであると説得しました。前夜以来マヘレの言動に不信を抱いていた兵士たちは、この説
得に罵りの声で反抗しました。戦う意志もなく、大統領を裏切った男が何しにのこのことここへ
やって来るのか、といいう罵声でした。マヘレ将軍はいきり立っている将校たちに冷静になるよ
うに求め、AFDL軍のキンシャサ侵攻に際しては、武器を置いて、彼らを迎え入れるしか道がな
いことを繰り返し説きました。彼らとまともに戦っても、勝てないことはすでに最後の砦だったケ
ンゲで証明済みではないでしょうか。マヘレも、前節で述べたように、ケンゲではできる限りの
戦術と抵抗を試みたのですから。
  このように説得を行うマヘレの前に、前夜のモブツのところでの2回目の集まりに参加してい
たDSPの副指揮官であるウェザゴが立ちはだかりました。彼は興奮してマヘレに迫り、ピストル
でマヘレを撃ちました。
  マヘレはザイール国軍をポスト・モブツ時代に引き継ぐ役割を果たすべく、この危機を乗り越
えようとしましたが、ンバンディ部族の大統領特殊師団兵士の抵抗に遭って、ついに命を落とし
ました。あるいは、彼はこれからの国を率いていくリーダーになる気概を持った人だったかも知
れません。モブツ時代にも軍人としての立派な実績とキャリアーを持ちながら、フランスや米国
の関係者からの信頼が厚すぎたこと、モブツと同じエカトゥール州の出身でありながら、部族が
違っていたことなどから、政権から一時遠ざけられていましたが、最後には実力ある人物とし
て、モブツ体制の最後の国防大臣・兼参謀本部長に任じられたことが、皮肉なことに彼の命を
絶つことになってしまいました。

 (3)AFDL軍の進入を待つキンシャサは!
  カビラの指揮するAFDL軍の到着が時間の問題となったキンシャサ市内の様子はどんなだ
ったでしょうか。市民が一番恐れていたのはカビラ軍が到着する前に、ザイール国軍、と言って
もDSPの兵士しかいませんが、彼らが1993年 月の時と同様に破壊と略奪行為を恣にする
ことでした。しかも今回は、狼藉にブレーキを掛けられる人は誰もいません。
 5月13日にリクリア首相は、反乱軍の侵入分子が市内に入り込んでくることを警戒する意味
もあり、夜の8時から朝の6時まで全市民に外出禁止令を出しました。そして、兵士たちは不審
な侵入者がいないか、街中で警戒態勢を敷いていました。
  キンシャサの中心部でも、夕暮れ時になると人影もまばらで、トラックを改造した乗り合いバ
スやタクシーもほとんど見かけられません。働く人々も雇い主の許可をもらって、早めに帰らせ
てもらっていました。彼らは多くの場合、歩いて2時間以上も掛かる郊外の手造りのバラックに
住んでいるのです。それに、すでに3月からキンシャサには緊急事態宣言が出されて、市民は
不便な生活に慣れっこになていました。
  市民は籠城体制の準備をしていました。給与の前借りをできる人たちは、そのお金で食料の
買い出しをし、車を持っている人たちはガソリン・スタンドで長時間列を作り、満タンにするよう頑
張っていました。商品や食糧の補給のための通常のルートは絶たれているので、物資は不足
し、物価はどんどん高騰を続けていました。首都キンシャサの市民生活はこれまで以上に苦し
さを増していました。
  チセケディの率いるUDPSは、カビラ側の新政権構造から排除されていました。カビラ側は4
月にたとえ数日間であってもモブツ体制の下で首相に任命されたからには、チセケディは我々
の敵であるとの見解を出していました。しかし、チセケディとしては、当然のことながら自分を除
いてポスト・モブツを語ることはできないと信じていました。モブツ体制の崩壊を目前にして、UD
PSはAFDL軍の武力によるキンシャサ進入を出来るだけ平穏に迎え入れるしかありませんで
した。その意味で、UDPSは市民にキンシャサを無活動の町(Ville morte)にすることを呼び掛
けました。党の活動家たちは市内でビラを配っていました。そのビラには次のような要旨の文字
がデカデカと書かれていました。
 「カビラ派の軍隊はすでにそこまで来ている。この軍隊はもう間もなくコンゴーを解放するであ
ろう。親愛なる市民たちよ!流血を避けるために、14日水曜日から16日金曜日までの3日間
を無活動の日にするように。重要な注意事項:全ての変化を自宅で待つようにし、国境向けに
移動することは避けるべし。」
  また、キンシャサでは有名なあるNGOの組織も、非常時の市民の行動規範を説明した文書
を出していました。第一に勧めていることは、冷静を保ち、守護の神に祈ることでした。そして市
民の役に立つような忠告を並べていました。曰く、「人が群がっているところを避けること、自宅
に留まって、床に寝ていること、生活必要物資を蓄えておくこと、緊急医薬品を備えておくこと、
相互扶助に心がけること、略奪から逃れるために地域の中で自衛団を作ること」などでした。そ
して最後の忠告はママさんや娘さんたちへのもので、暴行から身を守れるような着物(ズボンや
ガードル)を身につけることでした。
  明らかにAFDL側の手によって作られたものと思われるビラも撒かれていました。その文章
はキンシャサ市民に冷静さを失わないこと、体制の変革のために戦っているザイール国軍兵士
は支持しても良いが、モブツに忠誠を誓い続けている兵士たちとは戦うことを求めていました。
そして、キンシャサの解放を祝うために今日からでも白いハンカチかマフラーを身に着けるよう
市民に呼び掛けていました。
 
 (4)モブツついにザイールを脱出!
  16日金曜日の午後、モブツ夫妻を乗せたボーイング737はバドリテに着きました。そのバド
リテの状況はどうだったのでしょうか。AFDLの部隊はバドリテの東160キロほどのヤコマ周
辺、南は140キロほどのブシンガ周辺まで侵攻していましたが、バドリテと10キロ離れたカウ
ェレの2つのモブツの拠点自体は、まだDSPの精鋭部隊と外人傭兵たちが守っていました。特
にカウェレの宮殿では地下に強固な塹壕が築かれていました。キサンガニから敗走したドミニッ
クもここで傭兵たちを指揮していました。ドミニックはモブツの資金で調達した戦闘用ヘリコプタ
ーMI-24を3機、ミグ戦闘機4機、イタリア製戦闘機マッキ2機を擁していました。物資や人員
の輸送に当たっていたのは、ロシアから買ったばかりのアントノフ26型機でした。操縦チームも
ロシア人でした。
  バドリテ空港も他のローカル空港と違って、小綺麗に管理されていました。これも他所と違っ
て兵士たちによる破壊、略奪は未だ行われておらず、町役場も街中の公共機関も全てこれま
で通りの姿を見せていました。
  前日、キンシャサを逃れてこのバドリテに到着したモブツ一族をパニックに陥れたのは、AFD
L軍ではなく、何と自国軍兵士たちでした。それは、バドリテから100キロ程離れた、コタコリの
軍事訓練所に駐屯していた軍のンブンザ族の兵士たちが、自分たちと同族のマヘレ将軍がモ
ブツのンバンディ族の将校によって暗殺されたことを知ったからです。彼らにとってマヘレ将軍
は絶対的な存在でした。この兵士たちは蜂起し、バドリテに向かい、モブツとその一族を捕らえ
て、報復しようとしていました。
  この危機的な情報に側近のムトコ大佐は、モブツとボビ夫人に、即刻バドリテを諦めて、国
外へ亡命することを求めます。モブツは他ならぬ自分の軍の兵士が襲って来るのに、逃げ出す
ことは余りにも屈辱的でしたし、ボビ夫人も全てを捨て、突然逃げ出すことに泣きながら反対し
ました。しかし、戦う術も武器もないこと知っているムトコ大佐は、申し訳ないが、私の言うことを
聞けない人は、私が処分するまでと迫ります。大佐は、泣いているボビ夫人を急き立て、彼女と
双子の姉妹コシア、それに問題児の弟ファンビと共に装甲車に押し込みます。モブツも息子の
ンザンガとムトコ大佐が引きずるように乗せて、その装甲車を猛スピードで空港へと走らせまし
た。
  空港ではすでに、アントノフ26型機がエンジンをふかして、一行の到着を待っていました。本
当は大統領用のボーイング737を使うはずでしたが、前日、モブツは機長のムカンデラにブラ
ザヴィルに飛んで、DSPの隊員である息子のコンゴロを連れてくるように命じていたのです。と
ころが、ムカンデラ機長はブラザヴィルから引き返すフライトを拒否したのです。その理由は、す
でに彼の操縦するボーイング機は新体制の支配下に入ったから、ということでした。モブツはま
た一人、部下の離反を嘆くしかありませんでした。
  もうこの中古のアントノフ機で脱出するしかありませんでした。離陸直前にンブンザ族の先頭
の兵士たちが、空港の建物のところまでやって来ていました。そして、離陸するアントノフ26型
機を追いかけて、カラシニコフ銃を撃ちまくりました。翼の一部が弾を受けて破損しましたが、パ
イロットにとっては正に危機一髪の恐怖の離陸でした。機中でモブツが黙り込んでしまったの
で、医師が心配してのぞき込むと、モブツは呟きました:「自分の兵士たちさえ銃を私に向けて
いる。私はもうこの国でやるべきことがない。最早、これは私のザイールではない。」そして、こ
のアントノフ26型機は西に向け旋回し、トーゴーの首都ロメを目指しました。
  以上が、ルモンド紙とジュヌ・アフリック誌の伝えるところを参考にして再現した5月17日モブ
ツがザイールを離れた時の様子です。この4ヶ月後の9月7日、モブツは亡命先のモロッコで亡
くなりますので、これがモブツにとっては自国との永遠の別れとなってしまいました。
      
  (5)カビラ軍の兵士がキンシャサを制圧!
  5月17日土曜日の朝、ついにAFDL軍の兵士たちの姿が、ンジリ空港周辺に姿を見せ出し
ました。彼らは先ずこの国際空港を確保してから、首都の中心部に向かいました。その前にす
でに周辺の住民は、空港の近くにあった国軍の精鋭部隊訓練センター(CETA)が空になってい
るのを見て、めぼしいものを略奪し、長年兵士たちにいじめられて、溜まっていたフラストを解消
していました。
  ケンゲでアンゴラのUNITAの兵士たちと共に最後の戦いをしたザイール国軍の兵士たちも、
前夜、殺されてしまったマヘレ将軍の指示に従って、軍服を脱ぎ、武器を捨てて、キンシャサの
市民の中に潜入してしまったので、このカビラ軍兵士たちに対する組織的な抵抗は何もありま
せんでした。
  キンシャサの市内はもぬけの空のようで、走っている車は一台も見かけられませんでした。
小売商店や中央市場の店はほとんど民衆の手で荒らされていました。治安当局の警備兵が時
折、脅かしのため空に向けて発砲し、盗んでいる者を見付けると、それを目掛けて撃っていまし
た。
 さて、AFDL軍の第一陣は空港から市の中心に向かうため、ザイール河に沿った「ポワ・ルー
ル(産業道路)」を通って、キンシャサの中心部に迫ってきました。その道路沿いには数々の企
業の生産工場や倉庫が並んでおり、鉄道の引き込み線が敷かれています。第二のグループは
空港からのルムンバ大通りからカサイ通りを通って、市内に進みました。もう一つの別の部隊
は、ルムンバ大通りが市中に入る直前のインターチェンジの傍にあるヴォア・ド・ザイール(ザイ
ールの声)を占拠しました。これはフランスの協力で建設されたテレビ・ラジオ放送センターであ
り、モブツ体制のマスコミ戦略の本拠でした。
  市中の最も古いメムリング・ホテル前のロータリーでは、モブツ体制からの開放を喜ぶ人々
が集まり、AFDLの呼び掛けに応じて、白い鉢巻きをした男たちが叫んでいました。「独裁制の
32年間は辛かったが、ついに自由になった。もうこんなことは沢山だ。」そんなわめき声をあげ
たり、モブツが制定したザイール国旗を燃やすのに、この場所は最適でした。と言うのは、海外
からの報道陣がこのホテルに陣取っていたからです。インタビューされたくて、人々はマイクや
カメラの前に集まっていました。
  11時15分にAFDL軍の最初のグループがキンシャサの目抜き6月30日大通りに姿を現し
ました。それを迎えて歓声をあげていた市民は数十人で、多くの市民は未だ家に閉じ籠もって
いました。カビラ軍の兵士たちは疲れ果てた表情で、足を引きずるようにして、武器の担ぎ方も
だらしない感じでした。身につけている制服もちぐはぐでしたが、そのほとんどの兵士たちは、ツ
チ族のルワンダ愛国戦線が1990年と1993年にウガンダの訓練基地から自国に攻め込んだ
時に着ていた、栗色の小さな斑点が入った緑色の戦闘服を着ていました。キンシャサの市民が
意外と思ったことは、英語かルワンダ語しか話せない外国人兵士がいること、そして、その兵士
たちの中には相当数の少年兵がいることでした。
  彼らは市中を西の方向に進み、高級住宅街とDSPの本拠地があった、そしえンガリエマ丘
のモブツ官邸があった“コロネル・チャチ駐屯キャンプ”を目指していました。
  この日の内にAFDL軍はキンシャサの主要な拠点を占拠しました。ンジリの国際空港とヴォ
ア・ド・ザイールはすでに述べたとおりですが、その他ブラザヴィルとの交通の拠点である船着
き場のビーチ、暫定国民議会の本拠地である人民宮殿、数カ所のザイール国軍駐屯兵営など
がカビラ軍の支配下に置かれました。
  ただ、DSPの本拠地であった“コロネル・チャチ駐屯キャンプ”だけは、未だ手付かずでした。
でもDSPの兵士たちは、指揮する人もいないので、どういう行動を取るべきかも分かりません
でした。午後になって、兵器庫を開けて、武器を持ち出しましたが、戦闘するわけでもなく、その
武器で周辺の市民を脅し、国外に逃げ出したモブツ体制の要人たちの邸宅を漁り出しました。
モブツの官邸も例外でなく、この人たちの餌食となりました。
  この17日土曜にカビラはまだルブンバシにいました。彼は自らの安全に極めて慎重で、用
心深い行動を取っていました。それは、ザイール側からの危険以上に、背後からの危険も十分
にあったからです。5月14日のポワント・ノワールでのモブツとの2回目の接触をキャンセルし
たのも、この安全の問題を深刻に考えていたからです。
  6月前にキンシャサを陥落させると予告していましたので、それは実現しました。それでも、今
や自らの兵士がキンシャサに入る時になっても、彼はルブンバシの本部を離れませんでした。
そして、ルブンバシにいながら、自らがこの国の元首となることを宣言しました。
  ローラン・カビラの宣言に応えるように、この日の午後、AFDLは次のようなコミュニケを発表
しました(ロイター通信による)。
 @ AFDLは、ローラン・カビラの指揮の下で暫定的に国家の権限を掌握し、彼が国家元首の
職務を務める。
 A AFDLは72時間以内に暫定的救国政府を任命する。
 B AFDLは、移行期間についての暫定憲法を制定することを任務とする憲法議会を60日以
内に発足させる。AFDL   は、現行の憲法とおぼしきあらゆる規程の効力を停止する。
 C 暫定政府は、国家の利益となっているあらゆる国際協定を遵守する。
 D AFDLの執行委員会が日常的行政業務を管理するものとする。キンシャサの幹部公務員
には、そのポストに留ま   り、AFDLと連絡を取るよう要請する。
 E 大統領師団を含む全てのザイール国軍は、現地時間で土曜日の11時までにその全ての
武器をAFDL軍隊に引   き渡すものとする。
 F キンシャサ市民には、あらゆる暴力行為を慎むよう要請し、全ての報復行為は厳罰に処
するものとする。  
  

(本節の参考資料:1997年5月10日付および17日付ルモンド紙F.フリッシャー記者、
           1997年8月13〜26日付ジュヌ・アフリック誌F.スゥダン記者)

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18−4 国名は再びコンゴーに!
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