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      11−3  経済のザイリアニザシオン
  モブツは経済情勢が危機的状況になってきたことを、肌身で感じていたに違いありません。
それでも未だザイールの将来性に賭けて投資を考える国際資本がない訳ではありませんでし
た。そして、これまでザイールに根を下ろしていたベルギー、その他の外国の商人や実業家た
ちは、ザイール経済の中枢部門で余りにも多くの影響力を持ち続けようとしていました。モブツ
は綺麗さっぱりにこれらの外国人の経済活動をザイール人に引き継がせるという、大鉈を振る
うことにしました。モブツの演説を引用すると、「我が国の置かれている情勢を深く掘り下げて分
析してみると、現実に我々は自由な国民であり、文化的にも自由な国民である。しかし、経済的
には我々は未だ完全に自国の経済を支配していない」ということです。
  この1973年はザイールとベルギーの関係が相当改善された年でした。2月にはモブツがベ
ルギーを訪問し、王室の海岸沿いの離宮を提供されて、良い雰囲気の中でボードワン国王や
政府首脳と懇談を行う機会を得ました。8月には念願だったザイールの珍獣オカピの番がベル
ギーに贈られました。11月には協力大臣を初めとするベルギー政府代表がキンシャサを訪問
し、ベルギーの投資を積極的に進める旨の声明が出されました。それと共に、ブラッセルのテ
ルヴューレン博物館にある植民地時代のコンゴーの美術品が一部ですが、ザイールに返還さ
れることになりました。
  しかし、この辺がモブツのモブツたる所以であり、このようなデタントの中で同時進行的に、経
済のザイール化を用意していました。それは、10月4日にモブツ大統領が国連総会において
行った《オータンティシテ》についての演説がアフリカ諸国は言うまでもなく、社会主義的傾向の
人々からも評価されたこととも関連しています。モブツは、オータンティシテの哲学を開陳すると
共に、開発途上国が経済的に搾取され続けていることを激しい言葉で非難しました。「誰が誰
を助けているのか。」という叫びは、モノカルチャー経済の構造、紐付き援助の実態、国際金融
機関の厳しい介入について不満を持つ開発途上国の人々から拍手をもって受け止められまし
た。
  ザイール化政策についてモブツ自身はベルギー人顧問の忠告もあり、当初、漸進的なもの
を考えていたとのことです。しかし、大統領に圧力を掛け、急進的なザイール化の措置を採るよ
う後押ししたのは、ビンザ・グループ出身の側近と彼自身の一族のメンバーでした。それは、今
回の措置で最大の利益を得たのが、モブツの叔父に当たるリトー、従兄弟のワザバンガ、エカ
トゥール州出身のモレカ、公安担当でモブツに忠誠を尽くしてきたネンダカだったことを見ても、
頷けることです。もちろん、妻のアントワネットもモブツ自身も最も収益の高いプランテーション
や牧畜、食品産業などの接収者となりました。
  1973年11月30日のいわゆる経済のザイール化政策は、モブツ大統領が国民立法評議
会(国会)において行った2万語に及ぶ演説の最後の部分で表明されたものです。その政策は
内容的に次のような3つの部分から成っていました。
  第1部はこれまでになかった新しい経済的措置であり、次の業種やポストについてザイール
化、すなわち外国人の排除を強行するというものです。その分野とは、プランテーション、牧畜、
農場、大理石などの採石場、林業、それに鉱業に関しては銅の精製(これまで主としてベルギ
ーで行われていた粗銅を純粋な電気銅に精製する工程)、ジェカミンの総裁のポスト、その他、
保険業、船舶運送業、不動産業、建設業などです。銅の精製の問題は、溶鉱炉から出てくる銅
の品位 98 %を電気分解で 99.99 %にすることですが、これをベルギーのオボケン製錬所
でやっていた訳ですが、付加価値の高い工程だったのです。
  第2部はすでにこれまでに法律的にはザイール化措置が採られていたが、それが効果的に
施行されていなかった企業に関するもので、特に貿易・商業を行っている企業、コンセッション
に基づき設立されている企業、ユニオン・ミニエールの子会社などを対象とするものです。言い
換えれば、ベルギーの企業のザイールにおける子会社を接収するということです。
  第3部は、すでに採られた措置を強化するものであり、自動車保険の強制加入、100パーセ
ント・ザイール資本の海運会社の設立、外国人の就労規則などに関するものでした。
  モブツはこの演説を次のような言葉で始めています。
「ザイールはベルギーの植民地時代に、その宗主国の利益のために戦う努力をしていた。その
努力は1960年の独立まで続けられた。そして、その独立の日から今日に至まで、旧宗主国の
利益のために未だに努力を続けているではないか。こんなことを許すことはできず、言語道断
なこととも言えよう。だから今こそ、このようなことに永久に終止符を打つべきなのだ。
  それが故に、搾取されることを終りにするため、私自身が採った重大な決定を諸君に告げ
る。それは、大統領として我が共和国の完全な独立を保障すると諸君に宣誓したからには、当
然、私の憲法上の義務でもあろう。」
  現実には、この経済のザイール化政策は、結論から言いますと、すでに危機的状況にあった
経済情勢をさらに決定的に混乱に陥らせてしましました。その意味でモブツの統治においては
最悪の選択だったかも知れません。それは経営の経験、知識、企業家精神のないザイール人
に人為的に、企業主としての職務を引き継がせようとしたためです。少し長くなりますが、モブツ
の言葉を要約しながらこのザイール化政策の概要を述べてみましょう。
  • 農林業の分野 : ザイールの憲法にはザイールの土地とその地下、およびそこからの出て
    くる天然産物は国家に所属することが明記されている。土地の所有権は排他的に国家の
    ものであり、それは我々祖先から引き継いだものであり、ザイール人だけのものである。
    世界中どの国を見ても、農業はその国の国民が生業とすべきものである。それが故に、本
    日(11月30日)をもってプランテーション、牧畜業、農場、採石場はザイール人の所有す
    るものとなる。植民地時代の財政支援をもって開発されたコンセッション企業は全て、ザイ
    ール人の手に渡されるべきものとする。それ以外の外国人個人、または外国法人の投資
    により開発された企業については、これまでの所有者に対し公正なる補償が10年間で支
    払われる。放棄され、所有者の不明なプランテーションや家屋は、本日付で国家のものと
    なる。誤解のないように具体的に言えば、コーヒー、お茶、タバコ、サイザル麻、ゴム、カカ
    オ、椰子、キニーネ、除虫菊などのプランテーション、牛、豚、山羊、鶏、鳩、アヒル、ウサ
    ギの牧畜、養魚、大理石など石材の採掘、煉瓦製造は、排他的にザイール人によって経
    営されるものとする。鉱業と違って、林業は再生することのできる天然資源であるだけに、
    材木は我々にとって、極めて重要な資源である。木材の形でのザイールの林業は、特別
    の認可を与えられたザイール人だけに許され、それ以外は禁止される。
  • 鉱山業の分野 : この分野では、コンセッションに基づく全ての鉱山会社は、ザイール国家
    に五〇%の経営参加権を与えなければならない。
  • コンセッションに基づくその他の企業 : フォルミニエールはユニオン・ミニエールと同様、1
    906年にコンセッションを与えられたグループの一つであるが、独立以来我々はザイール
    国家の持ち分 55.5 %をザイールに返還するよう交渉してきた。しかし、13年間この会
    社はザイール政府を無視続けた。それが故に、我々はザイールに帰すべきものを全て接
    収する。その子会社や姉妹会社も同様である。かくしてフォレスコム、ミバ、BCKLマンガ
    ネーズ、SCAMなどの諸会社は、100 %ザイールの会社となる。本日付をもって全ての
    コンセッション企業を廃止する。
  • ユニオン・ミニエールの子会社 : この子会社もジェカミンが1967年1月に国有化された
    時、その大統領令に基づき、同様に100 %ザイール化されるべきものであった。今回全
    てザイール化を実施する。
  • 銅の精製 : MPRの第1回大会で指摘されたように、ザイールは何時までも原料の供給
    国であってはならないので、我が国が産出する全ての銅の精製は、1980年までにザイ
    ールで行うようにする。また、ジェカミンは、国家の予算、外貨保有、国民総生産への寄与
    が非常に大きいので、私は今朝、このジェカミンの総裁にザイール人を任命する大統領令
    に署名を行った。その人は鉱山技師のウンバ氏である。これまでのド・メール総裁のご苦
    労には謝意を表明する。
  • ソナス(国営保険会社): 設立当初の困難を乗り越え、国の経済発展にとって効果的な機
    能を果たし始めているが、その発展を確実なものとするため、国家的な措置を採る。ザイ
    ールの産物を輸出するに当たって、その輸送には強制的にソナスに付保することにする。
    輸出業者はこのソナスを使って、CIFでしか輸出できないものとする。不動産についての
    保険も、工業と商業施設、多数の人が集まる所、公共施設などについてはソナスの保険
    を義務づける。建設に関する保険も国家の予算に係わるものは全てソナスによって付保さ
    れる。自動車も現実には40 %ほどしか付保されていないが、これからは車検証明そのも
    のの発行をソナスが担当することにする。
  • 海上輸送 : コンパニ・マリティム・デュ・ザイールを設立して、この分野でのザイール化をス
    タートしたが、この会社のザイール国の参加比率は五〇%なので、完全に経営権を得て
    いない。それが故に、今回この会社を解散し、100 %ザイールのコンパニ・マリティム・ザ
    イロワーズ(CMZ)を設立する。この会社がザイールの生産物の輸送を独占することにな
    る。その能力を超える貨物がある時は、この会社の定める条件でその貨物を外国の船舶
    会社に運ばせる。国や国が関与している機関が輸入する貨物は、紐付き援助に基づく輸
    入物資を除き、全てこのCMZか、若しくはその指定する船会社が輸送に当たる。
  • 建設 : 建物と道路の建設に関しては、直ちに建設公社(ENC)を立ち上げ、これまでの住
    宅公社(ONL)を引き継がせることにする。建設のための調査・企画については、ザイー
    ル企画庁を設立し、特殊な調査・企画については、必要に応じてこの庁が選ぶ専門企業
    に下請けで委託する。
  • 商業 : 貿易取引については、外国とザイールとの取引に不必要な仲介業者が入り、大変
    な手数料を取り、過剰請求やキックバックで貴重な国の外貨が海外に持ち出されている。
    国内通商、国外との貿易その何れについても、段階的にしかも早急にザイール化を行う。
    この政策を具体的に実施するため通商大臣には的確な指示が出されている。特に商業活
    動には中断が生じないようにと要請している。
  • 外国人の就労について : ザイール人幹部の養成という問題は、非常に大切なことなので
    あるが、これまで故意に引き延ばされてきた。外国人経営者だけでなくザイール人の経営
    責任者に対しても、この際特に注意を喚起しておく。外国人の雇用ということは、世界中ど
    こでもそうであるが、自国民では十分な能力が発揮できないポストについて、必要になる
    ことである。しかるに現実には、雇用局は腐敗し、本当に必要とされる能力のない外国人
    を認可し、国にとって必要な有能な外国人の雇用を承認するのに、袖の下を取っている。
    今後は、UNTZA(全国労働者連合)、ANEZA(ザイール企業家連盟)、労働省、経済省、
    大統領府の代表から成る委員会が、外国人雇用契約申請の裁定を行う。1975年に、ザ
    イールで企業活動を初めて五年経過した企業は、その経営陣の中に、特に会長および代
    表取締役社長のポストにザイール人を任命しなければならない。
  • 産業の施設投資 : 一部の産業の設備が老朽化している問題があり、第二次大戦以前の
    設備でその後更新されていないものについては、その企業主がザイールで生産活動を続
    ける意志がないものと判断し、国がその施設を最新のものにすることを請け負う。
  • 外国人の取締り: 我々は繰り返し、ある種の外国人がザイールの経済を混乱させている
    ことを指摘してきたが、ダイヤモンドなどの貴石の密輸業者に対する措置を採ってきた。そ
    れで十分と信じていたが、余りにもひどい密輸が続いている。パキスタン人による象牙、
    金、錫石、ギリシャ人によるコーヒー、ポルトガル人たちによる椰子油などの密輸である。
    これらの外人には断固とした処分を行う。
  • 公共投資 : この面においては、この70年代において実施すべきプロジェクトの全貌を示
    してきた。その投資総額は14億5千万ザイール程のものである。大型プロジェクトをスタ
    ートする度毎に、やれ濫費癖だの、誇大妄想狂だのという声が聞こえてくる。しかし、もし
    第1次インガ・ダムの建設をやらなかったら、今我々はどうなっているのか? シャバへの
    送電線がなかったら鉱山業のエネルギーはどうなるのか?1年程前、インガ・ダムの活用
    のためウラニウム・アイソトープ濃縮工場受入の候補地として手を挙げた。これが実現す
    れば、ザイール経済にとって大きな貢献をすることになる。インガの電気コストは低く、もし
    この電気を使わなければ、この工場は、年間800万トンの石炭か、500万トンの石油を
    必要とするのである。農業の分野の投資については、鉱山会社にその本業の投資の他に
    農業面での大規模プロジェクトに取り組むことを要請する。
  • 貯蓄 : このような大規模な投資を行うためには資金が必要である。これまで我々は往々
    にして、輸出業者の信用供与で機材を調達してきた。しかし、これは非常に高くつく買い物
    であり、しかも非常に厳しい期間内に返済を求められている。従って、我々が必要としてい
    るのは、片務的な特恵あるいは政府ベースの資金援助である。ザイールの債務に関する
    世銀の諮問会議がキンシャサで開かれたところである。世銀が我が国に対して、非常に
    積極的な態度をとってくれることは嬉しいことである。しかし、外国援助がどんなに大切な
    ことであろうとも、それが我々の苦労の代わりをしてくれる訳ではない。私は全国労働組合
    連合、経営者連盟、全ての行政機関の幹部、MPRの指導者、国軍の責任者に緊急の檄
    を飛ばしたい。それは国民全員が愛国的、そして革命的良心に基づき貯蓄に精励するこ
    とである。それで農業、住宅建設の分野で投資を促進し、国民の福祉を向上させるのであ
    る。新しいスローガンは「大きなザイールのために1ザイールを!」である。
  以上がモブツが述べたザイール化政策の概要です。確かにこれまでザイールが色々な面で
搾取されてきたことは間違いないでしょう。一つの輸入生活用品が消費者に渡るまで、仲介業
者が何回入るのでしょうか。請求書に 20〜30 %の上乗せをすることは日常茶飯事でしょう。
またザイール人も輸出で儲けた外貨を色々な手段で外国に保有することを試みていました。モ
ブツ演説を聞いていると、もっともなことも多々あるのですが、現実にはこれまで何とか機能し
てきた貿易、生活物資の供給、物流に激しいブレーキが掛けられたといえます。どの措置を取
ってみても、その実施は極めて難しいか、あるいは禁止的結果をもたらすものと言えます。
  モブツ大統領は最後に、この政策の行き過ぎがないようにと、次のような戒めの言葉を付け
加えていますが、これは気休めに過ぎないでしょう。
  「私が天地神明に誓うことは、(外国の)立派な投資は保護されるばかりでなく、支援を受け、
奨励されるということである。今回の措置をもって、ザイールの国民皆が(外国人に)犠牲を強
いるようなことをしても良いとは言っていない。逆である。男女一人一人がMPRが教える規律
を身につけ、明日のことを考えて行動して欲しい。」

     11−4 犠牲となった外国人と喜んだ一部の国民
   このようなドラスティックなザイール化政策は、外面だけを見ていれば、アフリカのナショナリ
ストや進歩派の人 たちから、そして欧米の左翼陣営からさえ評価されうるものでした。モブツも
自分が反植民地主義運動の盟主で あるような印象を与えたかったのでしょう。しかし、政策と
その実施は全く別のものになってしまいました。現実に 何が起こったのかが分ってきたました。
これは経済的な施策ではなく、100パーセント政治的な行動だったこと が分かります。それは
経済を混乱に陥らせただけでした。
  今回のザイール化政策の対象となり、犠牲者となった数万人に及ぶベルギー人やその他の
ヨーロッパ人たち は、モブツ体制の中で何とか事業を続けて行くことができると信じて、ザイー
ルに残っていた人たちです。ユニオン・ミニエールやコミニエールのような大・中企業の幹部社
員や技術者とは違って、彼らは自国においては何の政治力もない人たちであり、自らのリスク
で細々と、あるいは相当な投資をして、仕事を展開していた人たちで す。公正な補償が10年
にわたり、その事業の利益の中から支払われるということですが、それは事実上取り上 げられ
ただけということです。
  まず、演説の翌日から追い出されることになったのは、小規模な商売をしていた1万5千人
のギリシャ人、1万 2千人のポルトガル人たち、3千人のパンキスタン人たちでした。モブツ演
説で言及されたように、彼らは密輸を理由に非難され、直ちに国外追放されることになったので
す。彼らの事業は即刻、ほとんどの場合何の補償もなく、ザイール人に引継ぐように命ぜられ
ました。この人たちはアケルールと呼ばれるようになりました。フランス語で取得する者という意
味です。
  ベルギー人で、モブツが具体的に列挙した農林業、牧畜、養殖業、その他軽産業を営んでい
た人々は、彼らの事業と全資産を引き継ぐべく当局から指名されたアケルールの訪問を受けま
した。ほとんどの場合、アケルールは、まず流動資産に関心を持ちました。そして金庫にある現
金が意外に少ないことを不満に思い、資産隠しの不正が行われたのではないかと、これまでの
経営者を追求します。ベルギー人たちは全てを奪われ、しかも居残りを強制された人たちもい
ました。
  通常、これらの引継ぎは、実際にその経営なり、生産活動に従事してきた能力あるザイール
人に対して行われるべきものです。さもなくば事業なり生産活動の継続はできないでしょう。そ
の継続が確保されないということは、直ちに経済の低迷、混乱を意味します。残念ながら、実際
は政治的配慮やモブツ一族との姻戚関係、MPR内の地位などが、アケルールを決める大きな
要素だったのです。だから引継ぎに来た人たちは今述べたとおり、流動資産にまず関心を持っ
た訳です。
  ジュール・ショメはこの引継ぎの現実を次のように述べています。
  「もしモブツが、本当に土地をコンゴー人の農民に与えたかったのなら、独立の1960年から
ベルギー人たちが放棄していった何千ものプランテーションを彼らに委せればよかったのだ。こ
れらのプランテーションは、手入れがされなかったため、藪のような状態に戻っていた。これら
のベルギー人は、多くのコンゴー人労働者に仕事を与えていたのであり、コンゴー人の地位を
奪っていたわけではない。
  ザイール化で経営者となったコンゴー人は、農業を行う能力も持たず、ほとんどの場合、与え
られた農園から数百、あるいは数千キロ離れたところに住んでおり、豊作だった1973年の収
穫の売上金を懐にして、大変満足であった。ただし、手入れをしないので、その収穫は年々減っ
ていくことになるのだが。
  心配していた通り、引継がれた農場で働いていた農業労働者は、直ちに解雇された。されな
くても給与がもらえなくなった。そして失業者の数を増やすことになった。かっては豊穣だったプ
ランテーションは藪に戻ってしまった。これらのプランテーションこそが、今では輸入に頼らざる
をえなくなった生鮮食材をキンシャサに供給していたのである。」

  このザイール化政策の実施に際して、体制派の有力者たちは、各人がそれなりの自薦、他
薦、それに策略にも訴えて、大なり小なり権益を引き継ぐことになりました。しかし何と言って
も、これまでコンゴーの経済の中枢を握ってきた収益性の高い企業については、モブツとその
一族が独占的に支配権を掌握しました。それはモブツ自身であり、妻のアントワネットであり、
叔父のリトー、従兄弟のワザバンガ、甥のモレカなどです。その次に側近の人々、MPRのトッ
プ、大統領府の高官、大臣たちが続きます。

 ○ イノンゴ・サコンビ大臣: 彼は国策指導大臣という、いわばモブツ主義の宣伝を担当してい
た側近政治家でした   が、新聞販売キオスク、映画館、カサングルーの製材所などのアケル
ールに指名されました。
 ○ ングンザ教授: ザイール国立大学でモブツ主義の浸透を担当していた人ですが、彼はア
マトー・フレルー社を引継  者ことになりました。この会社は、キンシャサ、ルブンバシなどに工
場を持つポルトガル系の中堅企業で、食料品か  ら日常生活用品を生産していました。ザイ
ール化以前は、その1日の売上は2万ザイールに上っていました。
 ○ビゼンギマナ大統領府長官: モブツの知恵袋であり、大統領府を牛耳っていた人物です
が、彼はルワンダ系のザ  イール人であり、キヴ州などで広大な土地と農園を引き継ぎまし
た。
 ○ レンゲマ大使: 特命移動大使の肩書きを持つ人物で、モブツの親書を携えて機能的に外
交折衝に当たっていた  が、彼はルンバサの貿易会社、キサンガニの清涼飲料会社、キンシ
ャサの卸売り会社などを引き継ぎました。
 ○ ブンバ将軍: タンガニイカ湖にあるほとんどの漁業会社をもらいました。
 ○ ワザバンガ: モブツの従兄弟ですが、ドイツと日本の自動車の輸入会社を引き継ぎまし
た。
 ○ リトーとモレカ: それぞれモブツの叔父と甥に当たりますが、コミニエール他の子会社を接
収して新たに設立され   た企業を経営することになりました。その最大のものはSGA(ソシエ
テ・ジェネラル・ダリマンタシオン)という食料品  の輸出入と販売をほとんど全国規模で独占
的に行う会社です。その時点でザイールは食肉や生鮮食料品を大量に  南アから輸入してい
ましたので、南アとの合弁で空輸会社も設立しており、その権益も含めて取得しました。生鮮食
  料品の輸送のために装備された、超モダンな航空機を持つことになったのです。そして国内
全域にわたり200台の  冷凍トラック、それに冷凍貨車、冷凍庫付きの船舶などの輸送機材
の所有者にもなったのです。
 ○ モブツ夫人: 1億8千万ベルギー・フランに及ぶベルギーの経済・技術援助によって開設さ
れたカニエマ・カセセ農  園を引き継ぎました。広大な土地に最新の技術をもってトウモロコシ
を初めとする農産物を生産するプランテーショ  ンです。またモブツと共同で、CELZA(ザイー
ル農業・牧畜会社)のオーナーになりました。その他モブツ家で全国   各地で農産物・畜産
物の企業の経営者となりました。このCELZAはこれまで全国にわたり設立されていた14の外
  資系農林・畜産業を統合したザイールの会社です。140人のヨーロッパ人を含み2万5千人
の従業員を数えること  になりました。社員の規模ではザイールで第3位を占める会社です。
また、モブツとその代理者はキンシャサ銀行の  株式の60%を保有することになり、最大株
主となりました。この銀行の最大の顧客は国営企業であり、その資金や  取引を半ば強制的
に取り込むことができるようになりました。権力の及ぶところ全ての旨味を独り占めにしないと
気  が済まないのでしょう。その他、建設・土建業、バスなどの交通機関など公共的な事業を
担当する業界もモブツ一族  の手中になりました。国から出てゆく金は全て吸収する仕組み
です。

  以上はザイリアニザシオンの一部のケースを取り上げただけですが、このようなやり方が経
済を混乱に陥れることは自明のことでした。これらのアケルールたちは棚からぼた餅のように、
ある日突然大金持ちになりました。でも、彼らは経営が何であるかを知ろうともしません。関心
は引き継いだ会社や事業所がどれだけの現金を生み出すかということです。事業の継続に資
金が必要なこと、再投資しなければならいないこと、従業員の給与や福祉に資金か必要なこと
などは後回しでした。モブツは少なくとも、ザイールに新しいブルジョアジーを形成することを目
論みたのですが、それが現実には経済を発展するエネルギーにも、資本にもならなかったので
す。彼らは単に強欲で非生産的な人々に過ぎなかったのです。
 数ヶ月にして、国の経済的な蓄えは浪費されてしましました。人種差別的な発言ですが、ある
ベルギー人は言いました。「彼らは木の上から直接メルセデスベンツに飛び乗った」と。そうで
す、自動車、それも高級車が売れて、売れて仕方ありませんでした。やはり、ステータス・シンボ
ルの車に乗らなければならないと、思ったのです。自由になるお金があれば、何よりも車であ
り、宝石類です。ホクホクだったのは、自動車輸入業と貴金属専門店でした。
  MPRのモットーである「人のために尽くせ、自分のためにでなく!」という言葉はどこにいっ
てしまったのでしょうか。実際行われたことは、これと全く逆のことでした。
 
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    11−5  《ラディカリザシオン》と《レトロセッション》! 
  このようにほとんど場合、引継ぎ者による事業や生産の維持・発展は不可能だったので、す
でに厳しい状況にあったザイール経済は破滅状態に陥りました。その背景には石油危機によ
る世界的規模の不況もあったために、事態はさらに一層深刻なものでした。何よりも日常必需
品、特に食料品の調達ができなくなりました。特に、ザイールの地方の隅々に入り込んで、小
規模な商店を開き、住民たちに生活必需品を売っていたポルトガル人、パキスタン人、ギリシャ
人などを追い出したことは、田舎の人たちの生活に大変な苦労を与える結果となりました。この
不満にはモブツといえども勝てません。しかし、モブツは前に進むしかありませんでした。ザイ
ール化政策を発表して丁度1年後の1974年12月30日にモブツ大統領はザイール化がもた
らした混乱を収めるために、《ラディカリザシオン》と称する措置を発表しました。言葉の意味は
革命をさらに「急進化する」ということです。
  流通、運輸、建設など経済の鍵を握る分野の企業について、さらに、ザイール化された農業
と製造業の企業、それに外資系企業で、その出来高が100万ザイールを超えるものについて
は、その経営をザイール人個人でなく国家に移転するというのです。アケルールに代わり、モブ
ツ体制の中で選ばれた若い大学卒のエリートたちが、「総支配人」として乗り込んできました。こ
の新しい施策によりザイール化制度の濫用や悪用によって起きた混乱を沈静しようとしました。
そして経済的利益が少数の特権的な人たちによって独り占めされたことを是正しようとしたので
す。
  しかし、結果は1年前のザイール化の時と余り変わりませんでした。やはり、総支配人たちは
自分の利益を第一にして、企業をさらに破滅に追い込みます。このような朝令暮改的な雰囲気
の中で、任命された総支配人は、これがモブツから自分に与えられたチャンスであると考える
のは、けだし当然のことでしょう。その企業の将来のことより、この機会を生かして、自分とその
一族の繁栄のために自由になる資産を用立てるのです。
  この《ラディカリザシオン》政策からまた1年後の1975年11月25日、モブツはついにザイー
ル化政策の後退を受け入れざるを得ませんでした。今回は《レトロセッション(返還譲渡)》政策
と言われましたが、国内向けには、《経済安定政策》として発表されました。その内容は、元の
経営者に企業の持ち分の40%を返還するというものです。ただし、残りの60%を保有するザ
イール側と共同で経営に当たることが条件とされました。建設土建、建材、ビール、タバコ、造
船など比較的規模の大きい一部の企業については、何とか事業が継続されていたこともあり、
この措置に基づきヨーロッパの経営者が戻って来ました。しかし、大部分の企業、特に事業を
ほとんどゼロから再建しなければならない企業については、それに必要な資金の手当てもでき
ず、この返還措置に応じることができませんでした。ベルギーの旧経営者たちは、戻って来るた
めに厳しい条件を付けました。それは事業を元通りにするために必要な資金の調達をザイー
ル政府に求めました。さらには、たとえ事業を再開しても、何時また取り上げられるか分からな
いというモブツに対する不信感もありました。
それから1年後の1976年12月17日に第二次の安定化政策を打ち出し、外国人に返還する
株式の率を40から60%に引き上げました。これでザイール人側が経済の指導権を握るという
最初の目論みは完全に放棄されてしまいました。1973年から始まったザイリアニザシオンと
は一体何だったのでしょうか。

 
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